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【本紹介】「赤の継承 カープ三連覇の軌跡」 緒方孝市 ーカープ三連覇の秘密とは?ー

この記事でわかること

・カープ三連覇の裏側

こんにちは、リョウマです。

今回は、監督としてカープを25年ぶりの優勝へ導き、球団初の三連覇を成し遂げた緒方孝市前監督の「赤の継承 カープ三連覇の軌跡」を紹介します。

私が歴代の選手の中でも1番好きな方なので、熱く紹介していきます。

緒方孝市とは

現役時代(1987~2009年)

佐賀県の鳥栖高校から、1986年のドラフト3位でカープに入団します。内野手として入団しますが、プロ入り直後に外野手へ転向します。1991年には102試合に出場し、カープの優勝に貢献しました。

1994年まではレギュラー定着には至りませんでしたが、1995年に47盗塁で盗塁王を獲得するなど、一気に主力へと成長を果たします。その後1996年50盗塁、1997年には49盗塁を記録し、3年連続盗塁を獲得します。1995~1999年まで5年連続ゴールデングラブを獲得するなど、守備力の高さも際立っていました。

1998年には自慢の走力に加えて打撃が進化し、キャリアハイの成績を残す勢いでした。しかし、6月12日の阪神戦で八木選手(代打の神様懐かしい。)の大飛球を追ってフェンスに激突し、右足首を捻挫してしまいます。緒方選手にとって最大の武器である走力を失ってしまいました。このことがあったため、走れない分より打撃に磨きをかけようと決意し、努力を積み重ねます。その後努力が実を結び、翌年の1999年には自身のキャリアハイとなる36本塁打を記録し、長距離砲として開花します。

しかし、2000年には膝のクリーニング手術、2001年には右ひじ内側側副靱帯断裂、2004年には椎間板ヘルニアなど、ケガとの戦いはずっと続きます。それでも2002~2005年は4年連続20本塁打以上を放つなど、チームの主力として奮闘します。しかし、チームは1997年の3位以来、Aクラスに入ることもできなくなってしまいます。そしてAクラスに入ることはなく、緒方選手は2009年に40歳で引退します。カープ一筋23年の選手人生でした

コーチ時代(2010~2014年)

引退した翌年からすぐにコーチに就任します。以下のようなコーチを担当します。

  • 2010年 野手総合コーチ(一塁ベースコーチ)
  • 2011、2012年 守備走塁コーチ(三塁ベースコーチ)
  • 2013年 打撃コーチ
  • 2014年 野手総合ベンチコーチ

野手に関する一通りのコーチを担当します。最終年は野村監督も横で作戦面を共有するヘッド格のコーチでした。これも監督になるための準備だったんですね。

監督時代(2015~2019年)

野村謙二郎監督の辞任を受けて、監督に就任します。

2015年は黒田と新井というかつてのエースと4番が復帰し、優勝候補にあげられます。しかし、4位に終わり、優勝だけでなくCSも逃してしまいます。

この悔しさをバネに、翌年の2016年には25年ぶりに優勝を果たします。カープファンにとっては忘れられない年でした。優勝決定後、黒田と新井の涙の抱擁には、カープファンも涙したことだと思います。

2016の勢いそのままに、2017、2018年と優勝し、球団史上初めての三連覇を成し遂げます。2017年には球団史上最高勝率の・633で優勝するなど、本当に最強と言っていいチームでした。それでも、日本一には届きませんでした。

2019年も5月に20連勝し、四連覇すると思われましたが、その後失速し4位に終わります。

これを受けて緒方監督は辞任し、5年間の監督人生を終えます。そして、現役時代から33年間着続けたカープのユニフォームを脱ぐことになりました。

内容

緒方監督の野球人生で最も重要な試合

試合概要

緒方監督にとって最も重要な試合というと、どの試合が浮かぶでしょうか?25年ぶりの優勝決定の試合や日本シリーズかなと思うでしょう。しかし、最も重要な試合はどちらでもありません。その試合とは、2015年10月7日の中日戦です。

この試合はシーズンの最終戦で、勝てば3位、負ければ4位というCS進出を決定する大一番でした。しかも、ホームのマツダスタジアムでの試合であり、3万2024人という大観衆が詰めかけるなど、CS進出が絶対といわれる状況でした。先発はマエケン、そしてベンチに黒田、大瀬良、ジョンソンが控えるなど準備万端です。

しかし、勝たなければいけないというプレッシャーからかとにかく打てない。マエケンも中4日という疲れがありながら、中日打線を0に抑えます。両チームとも得点できないまま、8回に大瀬良に交代します。1点もやれないというプレッシャーの中、大瀬良も全力で投げますが3失点してしまいます。結局、打線は1安打に抑えられ0-3で敗戦します。カープのCS進出は叶わなかったのです。

継投ミス

この試合で緒方監督は判断ミスをしたそうです。本来想定していた継投は、6回までマエケン、7~8回ジョンソン、9回中崎、延長は黒田でした。しかし、マエケンが「もう1回、僕に投げさせてください」と直訴してきたのです。マエケンは普段そんなことは言わないため、この試合に懸ける思いは人一倍強かったのでしょう。緒方監督はその意思を尊重し、マエケンにもう1イニング託します。

マエケンはきっちり抑えますが、このことで継投に狂いが生じました。それは、ジョンソンが投げれなくなったことです。なぜかというと、ジョンソンは中3日となるため、一度肩を作ったらすぐに投げると試合前に決めていたのです。ジョンソンが投げれないと誰が8回を投げるかとなりました。そこで、この日登板予定のなかった大瀬良が8回を投げることになったのです。大瀬良は登板過多、血行障害になっているなど万全の状態ではありませんでした。そして、打たれてしまったのです。

マエケンに対して非情になれていれば、大瀬良を投げさせることはなかった。「大瀬良がベンチで流した涙は、私が流させたようなものだった」と緒方監督は後悔しています。

このような裏側があったんですね。カープファンであればこの試合は鮮明に覚えていると思います。私も悔しくてしばらく受け入れられなかったのを覚えています。しかし、この屈辱からカープ25年ぶりの優勝、三連覇は始まったのですね。

監督1日の流れ

緒方監督のマツダスタジアムでナイターがある時の1日を紹介します。

午前中

映像確認
・その日の先発の映像を最低でも過去3試合分を見る。
・並行して打者の確認も行う。代打に至るまで、全員確認するという徹底ぶり。

 

スコアラー
・スコアラーに各選手の詳しい情報を聞いたり、攻略法を決める。
・スコアラーがその話をコーチに伝え、選手に徹底してもらう。

・トレーナーに自チームの選手の状態を聞く。
13時 ・スタッフミーティングでオーダーを決定。
14時前

・練習のためグラウンドへ向かう。
・各選手の状態を確かめて、気になる選手には声をかける。

18時 ・試合開始
試合後

・その日の試合の映像を全て確認。帰宅は23時、24時頃

 

なんとハードな1日でしょうか。8時に球場入りして、24時に帰るとすると、その時間は16時間にもなります。これが毎日繰り返されるわけですから、日々の疲労やストレスはもの凄いと思います。その証拠に、緒方さんは監督時代に1日にたばこ60本吸い、コーヒーを20杯近く飲んでいたそうです。心なしか、監督を辞めてから顔色が良い気がします。

緒方カープは全てサインで動く

緒方監督の時、カープは全てサインで動いていたのです。盗塁や送りバントに加えて、ウエスト、けん制、ボール長く持つなどといった指示もベンチから出ていました。

相手投手の分析も細かく行っています。相手投手の通常の配球と得点圏での配球をスコアラーに確認し、そこから打者1巡目、2巡目の攻めはどうするかと決めていきます。得点圏にランナーが出たときは狙い球をどうするか、どのカウントで走らせるのがいいかなど緻密に分析します。

そして、作戦を実行するためにサインも徹底します。例えば走塁の場合はスチール、ディレードスチール、ワンバウンドのとき即座にスタートを切るなど、常に5~7の選択肢が存在しているのです。

緒方さんはかなりデータを重視するんですね。もっと選手にある程度自由にさせていると思っていたので、意外でした。それだけ、野球のレベルがあがっているということなんでしょう。このように緻密に分析し、作戦を組み、実行するという徹底が安定して優勝した要因であると思います。

まとめ

緒方孝市前監督の「赤の継承 カープ三連覇の軌跡」を紹介しました。こんなにも後悔が生まれるんだとか、1日のハードなスケジュールや、常に考えを張り巡らせ決断しなけらばならないことなど、監督という仕事の過酷さが伝わってきたと思います。

今回紹介した内容以外にも以下のようなことが本書では語られています。

その他の内容

・緒方さんの現役時代・コーチ時代
・神ってる「11連勝」
・2016年、2018年の日本シリーズ
・緒方優勝くんへの愛(緒方さんの愛犬です)など

カープファンの方やそれ以外の野球ファンの方もぜひ読んでみてください。あのときの記憶や喜びが蘇ってくると思います。

ありがとうございました!